しののめ

我しののめを呼び覚まさん(詩編108:2)

お金に困らない方法

十分の一献金
これは究極の『百聞は一見に如かず』です。

収入の十分の一を神様に捧げる、
その行いを『十分の一献金』とクリスチャンは申しております。
十分の一献金を捧げれば、生活に必要な費用は全て神様が供給してくださる、
実践した数多のクリスチャンによる、数多の証が絶えない、神様の真実です。


私は敬虔なクリスチャンではありません。
けれども、献金という点においては神様に忠実と
自負しております。
十分の一献金は、神様を試しても許される唯一の振舞いです。
献金を捧げる事で神様が生活を守ってくださる。』
『だからこそ献金せずには居られない。』
この真実が、私の忠誠の源です。

献金という言葉に、嫌悪感や拒絶反応を示される方は多々いらっしゃると思います。
また、サブタイトルに対し、不審感を抱かれる方も多いと推測しております。
どうぞ、そのお気持ちを一旦脇に置いていただき、神様の真実を確かめてください。

私は2018年3月の収入より十分の一献金を続け、今に至ります。
その間、何度も職を失い、コロナ禍にも見舞われ、貯金も無く、一難去ってまた一難の只中を生きておりました。
けれども、神様は、職を失えば次の職を与えてくださり、かつ月々の献金額に加え、支払うべきお金や生活費を全て供給してくださいました。
給与という供給方法だけでなく、給付金という方法等々、己では想像も出来ない方法で必要な費用全てを賄ってくださったのです。
結果、私は支払いの遅延もなく、衣食住も全て整えられた中で暮らしているのです。

献金を捧げよう、そう決意したものの最初は半信半疑でした。
恐る恐る献金を捧げる期間も長く続きました。
どうしても収支が合わず献金をしなかった期間もありました。
献金を捧げると支払うべきお金が無くなる時も献金を捧げました。
私の揺れ動く気持ちに反し
枚挙に暇がないほどの不思議な不思議な奇跡が続き、生活費は全て賄われているのです。
それゆえ、
『神様が必ず守ってくださる』
その確信は献金を捧げる毎に強くなりました。
だからこそ、神様に申し訳ない気持ちが芽生え
献金を捧げなかった期間の金額も(1年以上後になりましたが)改めて神様に捧げました。
勿論、献金を捧げなくとも、神様は罰をくだされるお方ではありません。
献金を捧げなくとも、求めれば必ず助けてくださるお方です。

ではなぜ献金を続けているか?
それは
『神様が私のために奇跡を起こし守ってくださる』
『神様は私を決して見捨てない』
その真実を体験し、それが嬉しくてならないからなのです。

経済の危機に直面されている方は是非、神様を試してください。
イエス・キリストに向かって
『キリストよ、私を助けて!』と言葉にし、
お近くの教会の献金箱、もしくは教会の郵便ポストに収入の十分の一を託してください。
これでもう大丈夫。
おひとりおひとりに一番良いタイミングで
必ず神様が経済の危機を救ってくださいます。


とはいえ、最後の最後で本文を覆す事を申し上げます。
良からぬ事を考える・または実行する前に、
献金の前に、
何よりも先ず、
イエス・キリストに助けを求めてください。

キリストは必ずあなたを助けてくださいます。



十分の一の捧げものをすべて倉に運び
わたしの家に食物があるようにせよ。
これによってわたしを試してみよと
万軍の主は言われる。
必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。
                マラキ書3章10節